今週末はセンター試験ですね。今ではすっかり国の行事的なものになりましたが、30年前に自分が受けた時は、まだ共通一次試験と呼ばれていて、日本全国の学生の学力を一斉かつ公平に判断する試験としてスタートしたばかりでした。当時は試験会場が鹿児島市内だったために、鹿屋から受けるには前日にバスで鹿児島市内へ移動、その足で試験会場の下見、そしてホテルに到着してからは大部屋で各自自習、そして慣れない布団で就寝と…学生の頃は、鹿児島市内の自宅から通える学生との環境の違いに、こんな不公平な試験は絶対に長続きはしないと思っていましたが… まさか、自分の子が受けようとは… 。
自分の受験物語を少し… 現役の時に新設の長崎大学の歯学部に落ちた自分は、高校の先生に勧められて宅浪(自宅で浪人)をすることになりました。最初の頃は何とかやってましたが、大学に進学した者、予備校に通い出した者、同級生は全て地元の鹿屋を離れてしまい、一人残った自分は毎日を悶々とした生活を送ることになります。結局、宅浪は続かず、夏前に親に頼み込んで鹿児島市内の予備校に通わせてもらうことになりました。しかしながら、田舎から出てきて初めての一人暮らし、授業が面白くないからと適当な理由をつけて、ほとんど予備校には行かず、朝から晩までパチンコとゲームセンターに入り浸る日々が続きます。そんな生活が3ヶ月ぐらい続いたでしょうか、気付けば11月、共通一次試験まで2ヶ月余り、頬を伝わる風が冷たく感じられるようになった頃だったと思います。事の重大さにやっと気付き、その日から遊びを封印、死に物狂いで机に向かうことになります。大晦日、除夜の鐘ではなく錦江湾から聞こえる汽笛を耳にしながら、絶対に浪人はしないと机の上で誓った事を覚えています。結果がついてきただけに、今思えば良い経験をしたな〜ぐらいにしか感じませんが、この経験がその後の大学や社会に出てからの粘りに繋がっていると思っています。だから、ガンバレ受験生!!