『タテにならない男』

祝!ラグビー日本代表!! 先週の土曜日の6月15日は、日本ラグビー界にとって記念すべき日となりましたね。東京北青山の秩父宮ラグビー場で行われたテストマッチ(国代表同士の戦い)で、ついに強豪ウェールズを破りました。しかも得点は23ー8、文句なしの歴史的勝利です。“実にあっぱれ!!” 最近ではサッカーのワールドカップ予選に、ことごとく話題を持って行かれただけに、ラグビーファンにとっては非常に鼻高々で嬉しい限りです。

 

実は、ラグビー日本代表の格上相手の歴史的勝利はこの戦いを含めて3度しかありません。ひとつは、1968年のNZウェリントンでのオールブラックスジュニア戦(監督:故 大西鐵之祐)、もうひとつは24年前… とはいえ、まだまだ記憶に新しいスコットランド代表戦(1989年5月28日・秩父宮ラグビー場)。監督は宿澤広朗(しゅくざわ ひろあき)、同年の2月に日本代表の監督に就任、そしてわずか3ヶ月で歴史的勝利に導いた知将です。スコットランド戦の試合後に発した第一声「お約束通り勝ちました!」を覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

 

   故・宿澤広朗
   故・宿澤広朗

宿澤は高校時代からラグビーを始め、ラグビーでは無名の埼玉の熊谷高校から早稲田大学政治経済学部に現役で合格。早稲田ラグビー部では162㎝の小柄ながら1年生からレギュラー、そして大学2年の時に新日鉄釜石、3年の時に三菱自動車京都を破り2年連続の日本一に輝いています。自身まだ幼かったので現役時代の記憶は定かではありませんが、同じラグビーファンであった亡き父からその勇姿を幾度となく耳にしていました。

早稲田大学卒業後は住友銀行に就職、4年後にはロンドン支店に配属され、そこで為替ディーリング業務に携わり、持ち前の負けん気を遺憾なく発揮して全戦全勝のディーラーとして名を馳せることになります。帰国後は、前述のスコットランド戦での歴史的勝利、また第2回ラグビーワールドカップで唯一の勝利を上げた代表監督として実績を残し、ラグビー界引退後は大手銀行の中枢部で陣頭指揮をとり、当時難題とされた案件を次々に解決し、金融界においても実績を残していきます。座右の銘は『努力は運を支配する』、文字通り人生を全力疾走で駆け抜け、自ら運を導くことに長けた人材であったことは誰もが認めるところでしょう。しかしながら、通常人では到底こなせない激務とその疲労の蓄積のせいなのか… 2006年6月17日、趣味の山歩きの途中、赤城山の外輪山・鈴ヶ岳山頂にて心筋梗塞を発症し、享年55歳、志半ばにしてこの世を去ることになります。

 

妻・洋子さん曰く、宿澤は自宅では『タテにならない男』だったそうです。ソファの上でも、床の上でも、所かまわずヨコになり“ぐでん”としていて、息子たちが大学生になっても“舐めんばかりに”くっつき、床を転がるようにしてふざけあっていたようでした。それだけ、疲れていたともいえるでしょう…

 

ご家庭の奥様、自宅で『タテにならない男』をみかけたら、どうか… 優しく接して下さいね〜 おそらく… 疲れているはずですから。。(*^-^*)