先日の日曜は末っ子の娘(中3)の運動会でした。中学での最後の運動会ということもあり、気合いの入った家内は午前3時起きで、お弁当作りを頑張っていたようです。心配された桜島の灰は南東風のため霧島方面へ… 天候は曇り時々晴れ、何とか炎天下を免れたものの、やはり残暑は厳しく生徒も先生も保護者も水分補給に気遣う一日となりました。写真左は、昼食後、お昼のプログラム1番で行われる、今年度卒業生による恒例のフォークダンスです。午前中の徒競走で生まれて初めて1番をとって気分を良くしたのか、あれだけ嫌がっていたダンスを、楽しそうに飛び跳ねながら踊っている娘にビックリです。写真右は中学で籍を置く吹奏楽部の閉会式での演奏風景です。日差しを受けて楽器が熱そうですよね〜
さて、運動会の行われた9月8日は日本にとって特別の日となりました。日本時間で午前5時過ぎ、南米のブエノスアイレスで行われていたIOC総会で、2020年のオリンピック開催地が東京に決定しましたね。アベノミクスも最近での評価は下降気味、そのような中、一転して日本が活気づいた瞬間だったといっても過言ではないでしょう。まだ始まったばかりですが、報道関係はアゲアゲムード。景気回復、雇用促進云々、これからの未来に何かを期待させる“幸せの予感”は国民に徐々に浸透していくことでしょう。
さてさて、せっかく気分がいいところへ、水を差すような話題で申し訳ありませんが、皆さんはこのような経験ありませんか?
例えば、欲しくてたまらなかった物を手に入れた途端、実はそうでもなかった… やりたいことがいっぱいあったはずなのに、いざ退職してみると暇だった… この会社に入ったら人生バラ色だと思ったのにそうでもなかった… 一生大好きだと思っていた恋人が嫌いになった…
どうして私たち人間は、いつも間違った「未来の幸せ」を想像してしまうのでしょうか。それは、人にとって未来をコントロールすることが心地よいからです。コントロールによって手に入る未来ではなく、コントロールすること自体が心地よいからです。そしてそれは、「幸せ」を想像したい私たちの心と、自分を巧みにだましてしまう脳がグルになって起こしているのです。
「幸せ」はいつもちょっと先にある、目指した場所にたどり着くたびに私たちは満足できなくなり、また「幸せ」はちょっと先に逃げてしまう…
というようなことを、『幸せはいつもちょっと先にある 〜期待と妄想の心理学〜』(ダニエル・ギルバート著:早川書房)は様々な角度から私たちの「未来の幸せ」の検証、解明を試みている本です。
ネットでつい注文してしまって、奥様にビクビクしているご主人… ストレス発散で、つい衝動買いしてしまう奥様方… 秋の夜長に備えての一冊に如何でしょうか。 =*^-^*=